教祖である麻原彰晃が救済の名の下に日本支配を目論みました。
外国での軍事訓練や軍事ヘリの調達、自動小銃の密造や化学兵器を生産。
教団と敵対する人物の殺害や無差別テロを実行しました。
一連の事件で29人が死亡し(殺人26名、監禁致死1名、殺人未遂2名)
負傷者は6000人を超えました。
教団松本支部立ち退きを求める訴訟を担当する判事の殺害を目的として
サリンを散布し計7人の死者と数百人の負傷者を出した。
教団への捜査の攪乱と首都圏の混乱を目的に5両の地下鉄車両に
サリンを散布して計12人の死者と数千人の負傷者を出した。
先天性緑内障のため生来、左目がほとんど見えず、右目は視力0.3程度。目が見えたのに、学費も寄宿舎代も食費も不要な盲学校へ入れられたことを親に捨てられたと思い不満を抱く。盲学校では強い権力欲を見せ、目が見えない子供たちを子分扱いにし暴力で支配した。20歳で卒業するまでの13年間、両親が訪ねてくることはなかった。